2019年1月12日土曜日

凄い人はいるもんだ

前にも書いたと思うけど、能力の高いスポーツ選手には2種類いる、
①自分はスポーツが得意なので、できない選手がチームの足を引っ張って迷惑だと感じる選手
②自分がスポーツが得意なので他の選手の役に立てることに喜びを感じる選手

①の選手は本人が本気で勝とうとしているのなら、そう感じるのは当然なのかもしれない。能力の低い選手のせいで自分のチームが負けてしまうはつらいし、自分は何も悪いことをしていないのに、他人のせいで勝てないのは我慢できない。

でもこの考えでプレーしていると、いつも他人のことが気になり、自分のプレーに集中できなくなるし、自分自身のモチベーションも下がってします。

そう思うと②の選手のほうが幸せだと思う、自分のモチベーションも下がらないし、周りからも愛される。

なぜそんなことを感じたかというと、今の上司がそういう人だからだ,仕事も早く、話も上手、そしてどんなことでも覚えている、記憶力が10テラバイトぐらいある人だからだ。

だから、ある意味怖い、中途半端な説明をすると、論破はされないまでも的確な指摘をされてしまう。

しかし、その上司は②の選手と同じで、自分が得意なことで他の選手(この場合は同僚や部下)の役にたてることに喜びを感じる人なのだ。

だからいつも楽しそうに仕事をしている、仕事でだす長期的な成果だけでなく、日々周りの人から感謝されたり、周りの人が成長していくのを見ているのが楽しいのだと思う。

なぜ、そんな人間になったのかが不思議だが、おそらくは

①正義感が強い事
②20代の苦労しなければいけないタイミングで苦労してきたこと
③同じような素敵な上司と一緒に仕事をしてきたこと
④本当に頭が良いこと

が理由なのだと思う、その上司の頭の中ではいろいろな世の中の出来事がリンクしていて、一つ情報を入れたら、それが過去の記憶のデータベースに繋がって、よい判断ができるようなプログラムになっているような気がする。

凄い人はいるもんだなーと改めて感じている今日この頃です。



2018年6月29日金曜日

武装解除⇒インフラ⇒教育


2013年くらいに居たアンゴラで、ある日生徒が僕に語ったのは
大統領かゲリラ側かは知らないけど、

「今のままの政治が続くのなら2年後にもう一度内戦を始める」

との発表でした。彼は

「ウラはその頃もういないから大丈夫!」

って何か自信ありげに言ってたけど、
2002年に終わった内戦から約10年、現在二十歳の生徒達が10歳の頃からやっと国が良くなって、10年間安定して教育を受けて、これから先生になって国に恩返しできるという時になって、また逆戻りなの?

多くのアフリカの国は、ヨーロッパから独立後、国内で誰が国を納めるのかで内戦が始まり、その勝者は自分達の国と国民を植民地のように扱う。
結局はヨーロピアンの真似をする新たな独裁者が生まれる。

結果的に、独立しなかったほうがましだったということになる。


また、血みどろの内戦が終わって、やっとのことで新政府が誕生した後の第一段階は

「武装解除」

みんなの武器を回収して、新たな内戦が起こらないようにする。

第二段階は

「インフラ整備」

町づくりが始まる、内戦で壊された橋、水道、道路、病院、学校、地雷撤去などを行って、効率よく生活できるように、町を整えていく。

それには10年くらいかかる。段三段階は

「教育」

義務教育から初めて、計画的、建設的に物事を考えることができる人を育てる、政治家でも教員でも今後の「国つくり」をきちんとできる人を育成する。

その人達が社会に出て実際に活躍して国が良くなるまでにかかる時間が20年から30年
第三段階まで行けば、そこで初めて独立と自立が成功したことになるのかも知れない、日本の戦後30年って第一次ベビーブーム、いまや団塊世代が30歳のときだよね。日本人は良く頑張ったのだと思います。


アンゴラは内戦が終わって10年、中国の技術援助とともにこの10年でインフラ整備が進んできています。女性や子供がやっと安心して暮らせるようになってきたのに、2年後に内戦はじめるのはあまり賢い選択ではないと思います。

もう少し我慢して欲しいと思います。

そして、もう一つの疑問はダイアモンドや石油をたくさん持っているアンゴラが今後順調に国力を伸ばしていったら、困る人達や国もあるのだと思います。

内戦が始まってアンゴラからの石油の輸出が不安定になれば、値段があがること間違いないしね。

そしてアンゴラが石油とダイアモンドを売ったお金で順調に成長していって、もともと賢くて真面目なこの人達が教育を受けて強くなることを恐れている人や国もあるのだと思います。

自分の国に資源がない先進国の国は、アンゴラのような国には常に不安定であってもらうころが大切なのだと思います。

だから国つくりがある程度成功してくると、反政府側に都合の良い話を提案してお金や武器を援助して、内戦を起こさすのかもしれません。

そうすれば第三国が介入できるビジネスチャンスがまた増えるわけだしね。

ものすごく奥が深くて、アフリカがいつまでも成長しなくて世界で問題視されている一番の理由はここにあるのだと思います。

それを操っているのは資本主義、物質主義でお金持ってないと勝ち組になれない、正義を叫ぶ貧乏な人は説得力が無く、いつまでも学ばない民衆はお金をもっている強いひと人と国の言うことを聞いてしまうのが現況なのだと思います。

そっちの事情もなんとなくわかるよね。

そう思うと日本の戦後の歴史は奇跡的だよね。

アメリカ一国が日本の面倒を見てきたからからかな?

それとも島国だし、資源とかないから利用価値がないと思われたのか、日本がまさかこれほど「物づくり」上手だとはどこの国も気がつかなくって、気がついたら自分達が買う側になっていてお金払わされていたのかもね。

日本人は、日本のそういった世界の中でもユニークな歴史をたどってきたことを意識しながら、他の国とかかわっていけたらと思います。

そしてそうやってアンゴラの利用している一部の人達に、

「アンゴラを利用するのは良くない」

と言ったとすると、

「何が悪いの、自国の利益考えるの当たり前じゃない、俺達は頭が良いだけだよ、国際社会ではそれが当たり前じゃない?

アンゴラ人には内戦を断る選択肢もあるんだしね、俺達は選択肢を増やしてあげているだけ、選択しているのは彼だから俺達悪くないよ」

ってあっさり言われるのだとおもいます。

ヨーロッパを中心とする「西洋文化」ではすでに何千年も前からそうやってお互いに駆け引きしあって歴史を作ってきたわけだから、それは汚いことでは無くって、当たり前なんだと思います。そういった国から見たらアンゴラみたいに、「幼い」国を外からコントロールすることは簡単なことなのかもしれません。 

アフリカの本当の問題はここにあるのかもね。

彼らにいわせれば

自分の国の国民に選ばれた政治家達がよその国の利益になることより自分の国の国民の利益を考えることは当たり前だものね。


今一緒にいる生徒達が2年後に兵隊ではなくて教員になって欲しいと僕は思います。

せっかく10年かけて育ててきた長期的に物事を考える事ができる人達なんだからね。

2018年1月8日月曜日

気合で早起きしようとするな

明日の朝は気合で早起きする!

と意気込んで大切な日の前日に夜更かししている人が居るとする。
そうやって意気込んでいても、人間の感情なんて一晩眠れば変わるものなので、布団に入って眠ってしまえば、次の日の朝には寝不足で寝坊してしまうのがオチだ。


頭の良い人が大切な日に早起きしたければ気合で起きようとは考えない、前の晩に早く布団に入るだけだ。しっかり準備すれば、当日に「気合」を使う必要はない。

こんな簡単なことがスポーツの世界でわかっていない人が意外と多い、しっかりと準備せず、「あすは気合で勝つ」と言っているチームが勝つことはまずない。

常勝チームは事前に準備をしっかりしているから、気合に頼らなくても普通に勝つことができる。

負けた結果(寝坊した理由)は気合ではない、準備不足だ。






スポーツ界から理不尽が無くならない単純な理由

コーチの中にはスポーツ界での理不尽について
「社会に出たら理不尽なことばかりだ、だから学生の頃から理不尽になれておくことは良いことだ」
という考えのもと、選手に理不尽なことを押し付ける人が居る、でも僕は思う、そうやって理不尽な扱いを受けて育った選手は、今度は理不尽なことを言う大人になる。
だから日本の社会から理不尽がなくならない。

社会で理不尽が多いと感じている人は、学生に理不尽なことを強いてはいけない、理不尽を知らない学生が大人になれば30年後には日本から理不尽は無くなる。

日本は成熟した国になり、理不尽なことを言わなくてもみんなが食べていけるようになった。今後は理不尽をなくすことでみんなが平等に幸せになれる社会をつくるべきだし、スポーツはそういった社会つくりに貢献しなくてはいけない。

東洋医学的コーチングと西洋医学的コーチング

大学のアメフトのコーチを4年間やって思ったことは、コーチングには、東洋医学的と西洋医学的の二つのタイプがいること、
チームを人体に例えると、東洋医学的コーチングとは、体(チーム)が病気になる前に先手を打ち、病気を防ぐ。(未病する)
これをできる監督やコーチがいればチームの勝ち負けに関係なく、常に健康で勝てるチームがつくれがつくれる。

西洋医学的なコーチングとは、何か病気(問題)が起こった時にその問題に対して対処すること、
例えば

・大量の怪我人
・いきなり大量の退部希望者が出た
・部員による暴行事件

これらのことは東洋医学的コーチングで考えると、未然に察知して対応すれば防ぐことができる。

例えば

・体を鍛えることだけではなくメンテナンスの知識を与える
・チームの方向が勝利至上主義になりすぎないよう気を付ける
・コーチ自身が選手に暴力的なアプローチをしない

などをすることによって未然に防げることだと思う。

コーチの中にはチーム内に問題が起こり、それを解決することが自分の仕事だと感じている人もいるが、本当に優秀なコーチは、未然に選手の気持ちを整えることで病気にならない(問題を起こさない)チームをつくっている。

これからのコーチングには東洋医学的な考え方が必要だと思う。

2017年7月31日月曜日




アウェーの移動中_ロサンゼルスの空港

日本のスポーツ界でのよく言われる気合、根性、理不尽について、2年間アメリカのプロリーグでの経験を基に書いてみたい。

今でも思うが、アメリカのスポーツ界にはそういう概念が無いのだと思う。

ちなみにハワイのプロリーグの練習はとても厳しかった、僕はアメリカのプロは合理的なトレーニングをするものだと思っていたが、実は日本の1,5倍ほどの練習量があった。

単に練習量だけではなく、ハワイの気候も僕にとっては大変だった。気温は30度ほどだが、ドライなので汗がすぐに乾く、しかも南太平洋の島風が常に吹いている。
要は信じられ無いくらいに汗をかいても、それを感じることなく、ずっと気持ちよく動くことができる。

だから気づかないうちに体から水分とミネラルが抜けてしまっている。連日練習していると、慢性疲労が溜まる。

それが日本人としてハワイでプレーして実感したことだった。


練習はとてもハードだった。
なぜこれほどハードなのかハワイの選手に聞くと、ハワイの高校で活躍した大きな体の選手は、みんな大学進学は推薦をもらってアメリカ本土に進学してしまう。
結果的に残った選手は才能はあっても体が小さな選手ばかり。本土のチームに勝つためには厳しい練習で鍛えるしか無い。
彼らには少なからず本土(アメリカ)に対する反骨心がある。それは、沖縄の人が本土の人に対して 持つ感情と似ている。

そんな厳しいハワイの練習をなぜ自分が乗り切れた理由は、コーチングの違いだった。

ハワイのコーチには日本のスポーツ・体育の基本にある「教育」という概念はない。
自分たちはフットボールコーチであり、規律やモラルを教える「体育の先生」という感覚は無いのだ。もちろんチームが勝つために規律やモラルが必要なときはキチンと伝えてくれる。

コーチの一番のモチベーションは
「選手の能力が向上してチームが強くなる」
ことにある。無理に教育者を演じない。

ちなみにヘッドコーチのキャル・リーはハーレーのバイクだ大好きで、オフになるとハーレーに乗ってノースシュアにツーリングに行っていた。

一度ノースシュアで見かけたので、次の練習で声をかけたら、嬉しそうにそのことを話してくれた。その時の顔はフットボールコーチではなく、ハワイの気さくなおじさんだった。

ハワイではいつも練習の初めに必ず、50ヤード10往復というメニューがあった、これは相当キツかった。シーズン途中に本土から移籍してきた選手でこのメニューが嫌で去っていった選手がいたほどで、練習前に憂鬱そうなその選手に、チームメイトがみんなで
「Don't be nervous!」
と冷やかしていた、彼は「ハワイはクレイジーだ!」
と苦笑いしていたが、次の週には居なくなっていた。

そのメニューの時にいつも自分が感じていたことは、コーチの声掛けである
7本目、8本目になるとすでに140キロもある大型の選手は顎があがって、スピードも落ちる、明らかに気持ちが負けた状態になる。

日本のコーチはこの状態を許さない。気持ちが負けている選手を許すと、チーム全体のレベルが下がると感じるからだろう。

しかし、ハワイは逆だった、そうなった選手に対しても
「グッジョブ!」「ハッスル!ハッスル!」
などとコーチが手を叩いで鼓舞するのだ。
すると他の選手もその選手を応援する。だからその選手も前向きに無心で走る。
結果的にゴールした時にはチーム全体に達成感が沸く。

逆に日本の場合、コーチが走りきれなかった選手に対して「もっと走れる」「最後までやれ」などと厳しい言葉をかける。
せっかくみんなで厳しい練習を乗り越えたのに、チームになんとなく後味の悪い雰囲気ができてしまう。

それが連日続くと、体の大きな選手は毎日みんなの前で恥をかくような気持ちになる。そしてだいたいは以下、3つのパターンになる。

◯真面目な選手は責任を感じて辞めてしまう
◯厳しく言われるのが嫌なので、一生懸命に走っている演技をするをするようになる
◯開き直っていくら声掛けをしても無反応になる

単純に考えると、140キロの選手も70キロ選手もお互いに一つの心臓と肺で体を動かすのだから、140キロの選手は70キロの倍追い込まれることになる。
日本のコーチは
「だから練習で追い込んで70キロの選手と同じに走れるように鍛える必要がある」

と考えているのかもしれ無いが、それでは選手がやる気を持続することはできない。

また、そういった選手を吊るし上げることで、他の選手の「自分はああなりたくない」という恐怖心を煽り、チームをまとめようとするにも間違っている。

また、ハワイのアジリティードリルではコーンを5ヤード間隔に置いて、色々なステップで前後左右に走る。という練習があった、練習が始まる前のコーチの指示はただ一つ
「みんなハッスル!」だった
その練習でチームが一番盛り上がるのは、バックステップをしている選手がハッスルしすぎて転んだ時だ。
日本のチームなら転んだ選手が出た場合、周りが冷やかすことが多い、本人も苦笑いする。それは日本人独特の気遣いのようなもので、無視するより、みんなで笑ってあげることでその場を和やかなものにする感覚だ。

しかし、ハワイは違った、ハッスルしすぎて、後ろ向きに転んだ選手に対して、チームみんなが声援を送る、(それはハワイ独特の野生的な掛け声であることが多かったが)チームが一番盛り上がる時がその習慣だった。

また、そこで日本と全く違うと感じるのは転んだ選手は全く恥ずかしがら無い事だった、もの凄く真面目な顔で立ち上がり、全力で走り出すのだ。

はじめは、負け惜しみで真面目な顔をしているのかな?
と感じていたが、そうではなく本人は大真面目だった。

ハワイにはそういった文化があった。だから練習に対してシラケた選手は居なかったし、指導者の顔色を見て練習をする選手もいなかった。

コーチも選手も同じ方向を向いている良いチームだった。





2016年5月6日金曜日

いつもここから②

先日に定時制高校で進路とバヌアツのお話をさせてもらう機会があった。

僕が高校を受験した25年ほど前には定時制というのは、少し訳ありというか高校に行くタイミングを逃した人とか、成績が思わしくない人が行くというイメージがあった、実際に僕も定時制を考えていた。

良く自己紹介などで

「僕は子供のころに全く勉強できませんでした」
というような人がいて、そういう人の経歴をみるとそれなりの大学に通っていたりするのを見ると

「なんだ、自慢したいだけか!勉強できなかった訳ではなくて、しなかっただけでしょ!」

とすこしがっかりさせられる。 自分がそうならない為にはどうしたらよいか?

生徒との距離を話を聞いてくれる生徒との距離を縮めるにはどうしたら良いか?
  
そういえば中学校の頃の成績表が卒業アルバムに挟まっていたな・・・・と思って出したらやっぱりありました。 吹田第一中学校3年2組の僕の成績表一番下を見てもらうと中三の三学期の5教科の成績の合計点が97点それぞれの科目が20点以下でした。 総合の10段階評価が①あり得ないよね。

中三の頃といえば、高校に行けるかどうかもわからなくて、周りの友達は受験勉強して遊んでくれなくて、だからといって自分が受験勉強するかといえば10分机の前に座っていると体がムズムズして続かなくて、自分はそれほど悪い人間ではないのに、なんで勉強ができないというだけで社会の中で居場所が無いのだろう・・・・ と冷静に考える前に漠然とした恐怖とか怒りとか悲しさとかがあって、何で生まれてきたんだろう、どういう意味があるのだろう? と毎日が絶望でした。
長期的な結果よりも目先の小さな面白さにしか目が行きませいでした。忍耐力も正義感も全くありませんでした。

そんな成績表おみんなに見せたら生徒との距離が一気に縮まりました。
というより最近の定時制というのは普通の高校制で驚きました。
普通に制服をきていて、年齢も高校生しかいませんでした。
でもそれから一時間みんな嫌がらずに僕の話を聞いてくれました。

25年前にまさかこの成績表が役に立つとは思っていなかったし、できればもう少し良い成績を取りたかったけど、生徒からの感想文に

「私も自分の居場所がなくってどうして生きてるんだろうと思います」
と書いてあったとき、やっぱりそれなりに僕の中学校時代にも意味があったのかな?
と思うことができました。

しかしそうなるまでに25年間、人生って不思議だなーと改めて感じています。